KWTB エリアガイド

豊洲|TOYOSU

1988年(昭和63年)有楽町線豊洲駅が開業し、都心に近い住宅地として注目を集めた。

1995年(平成7年)に新橋有明間に開通したゆりかもめが、2006年(平成18年)に豊洲駅まで伸長、さらに都心に近くなった。高層マンションや大規模商業施設が立ち並ぶ。

2011年(平成23年)江東区が「豊洲グリーン・エコアイランド構想」を開始、環境に最大限配慮した街づくりが推進されている。

BRTBus Rapid Transit)という、バス路線の整備により、新橋、虎ノ門などへのアクセスがいっそうに便利になる。オリンピック前後にプレ運行開始。将来的には、銀座・東京駅方面への乗り入れも検討されている。


銀座和光|GINZA WAKOH

銀座の地名の由来は、1612年(慶長17年)に移された幕府の銀貨幣の鋳造所(銀座)による。

世界的に知られる繁華街。中央通りと晴海通りが交差する銀座四丁目交差点付近は、日本一地価が高い場所。

「服部時計店ビル」本館の時計塔は、銀座のシンボル的存在。時計台には鐘楼があり、毎時0分にウエストミンスター式チャイムの音が鳴り響く。



日本橋麒麟|NIHONBASHI KIRIN

日本橋が架けられたのは、徳川家康が幕府を開いた1603年(慶長8年)と伝えられる。

東海道をはじめ、五街道の起点として有名。今でも国道1号をはじめ、幾つかの国道の起点となっている。

現在の橋は1911年(明治44年)に完成、国の重要文化財に指定されている。

写真の麒麟(きりん)像は、この日本橋の中央にある青銅製の照明灯の足元を飾っている。

麒麟は、まったくの想像上の生き物。日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つイメージから翼が付けられた。


歌舞伎座|KABUKIZA

東京都中央区銀座4-12-15にある歌舞伎専用劇場。4度建て直されており、現在のものは2013年(平成25年)築の5代目。

意外と知られていないが、歌舞伎座には観劇チケットがなくても入れる場所がある。

その一つは、地下2階の「木挽町広場(こびきちょうひろば)」地下鉄の東銀座駅と直結しており、お土産を探したり、アイスクリームやきんつばなどのお菓子を楽しんだりすることができる。

ここから、さらにエレベーターで5階へ向かうとやはり無料の「屋上庭園」がある。芝生の公園には、歌舞伎座の歴史を刻む瓦や先人の碑が配されている。庭園向かいの「歌舞伎座ギャラリー」は有料。


丸の内|MARUNOUCHI

東京駅を中心に、隣接する大手町と共に日本屈指のオフィス街として発展してきた。企業本社ビルが立ち並ぶ、金融・経済の中心地。

1914年(大正3年)創建された赤レンガ造りの東京駅丸の内駅舎は辰野金吾による設計。国の重要文化財に指定されている。

居住用のマンションが殆ど無く、昼間と夜の人口の差が大きい。

東京都庁は、1991年(平成3年)に新宿区西新宿二丁目に移転するまで丸の内三丁目にあった。


皇居|KOUKYO

皇居とは、天皇の平常の居所。

現在の皇居は、幕末まで徳川将軍家が居城としていた江戸城跡(東京都千代田区千代田)に所在する。

皇居を一般人が訪問できる機会としては、「皇居一般参観」のほか、毎年1月2日の「一般参賀」や桜が見ごろの4月初旬に行われる「乾通りの通り抜け」などがある。皇居の濠の外周路を利用して、一周5kmのジョギング(皇居ラン)が楽しまれている。


お台場|ODAIBA

お台場とは『砲台場』のこと、大砲の台のある場所。

幕末1853年(嘉永6年)にペリーが米国から黒船に乗って来て、日本の開国を要求した。このとき日本は1633年(寛政10年)幕府が鎖国令を発して以来200余年もの間、鎖国状態であった。なぜペリーが開国を要求したのかというと、ヨーロッパと貿易をしていて、ヨーロッパに行く途中の物資や燃料の補給などの中継地が欲しかった。 それが日本であった。日本の幕府はペリーを追い返したものの脅威を感じ、全国に台場を築いた。その台場の一つが、当地。しかし、結果的には使うことなく放置された。

今では、台場は公園として開放され、砲台の台座のレプリカだけが当時の面影を残している。


甘酒横丁|AMAZAKE YOKOCHO

人形町2丁目、甘酒横丁通り

証券街やビジネス街に隣接しながら、下町の情緒を残し、昭和のかおりのする風情ある街、人形町。明治の昔、今の甘酒横丁入口付近に「尾張屋」という甘酒屋があり、その小路を「甘酒屋横丁」と呼んでいたのが名の起源。通りには歴史の深さを感じさせる大きなトウカエデの並木が続き、何代もつづく老舗が軒を並べる。近くの明治座で観劇、水天宮のお参りの後、ぶらり散策を楽しむ客も多い。